味読一話
用いられぬときこそ人物が問われる——論語に学ぶ出処進退の心得
論語に、「これを用(もち)いれば則(すなわ)ち行い、これを舎(す)つれば則ち蔵(かく)る」という有名な章句がある。
出処進退を軽く考えて、用いられないときは、穏やかにして自分の力を蓄えているという人は、世間には全く見当たらない。
昔のやり方にこだわらずに自分で新しい方法を考え出して、後世の規範・手本となると意気込んで、用いられなければ、用いられないほど、より新しい分野に進もうとする。
出処進退を弁えた人物は、用いられないときは、あえて進んで行おうとしないで、深く隠れて将来に活躍の日を期しながら屈従する人と思える。
用いられなくなったと気がつき、意欲喪失して気持ちが滅入ってしまうか、あるいは自重することを忘れて自暴自棄におちいって、わが身をなくしてしまうような者は、全く愚かな者だ。
用いられないから、自暴自棄におちいる人は、いざ用いられたとしても、最大限に行うことが出来るものではない。
考えると、その時に大事を行うことができるか否かは、その人の用いられるか、用いられないかによってきまるものではない。
その人の、心がけ、修養、もっと言えば、人物が道なのかということだ。
用いられないからダメになってしまうような人は、用いられてもやはりダメな人なのである。