名著読み聞かせ

私が間違っているかもしれない

著者
ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド、キャロライン・バンクラー、ナビッド・モディリ 著/児島 修 訳
出版社
サンマーク出版
出版年
2023年

1.全体のストーリー

本書は、スウェーデンの元仏教僧ビョルン・ナッティコ・リンデブラッドが、難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)の進行によって自らの死を見据えながら遺した、人生の知恵の書である。文字を綴る力を失いつつあった著者は、友人であるキャロライン・バンクラーとナビッド・モディリの助けを得て本書を完成させた。書名そのものが、彼が修行の中で授かった最も大切な一句——「私が間違っているかもしれない」——から取られている。

著者の歩みは劇的である。二十代半ばで多国籍企業の財務責任者にまで上りつめながら、外形的な成功の只中で深い空虚を感じ、その地位を捨てる。やがてタイの森林僧院に入り、托鉢と瞑想に明け暮れる十七年の出家生活を送る。森を出て故国スウェーデンに戻った後は、還俗者としての苦悩や鬱とも向き合い、講演者として多くの人の心に灯をともす存在となった。そして晩年、ALSの宣告を受ける。本書を貫くのは、この波乱の半生を通して彼がたどり着いた一つの確信——「確実であろうとすること」「正しくあろうとすること」を手放したとき、人は最も自由になる——である。

中心にあるのは、ある先輩僧から授かった「魔法の言葉」のエピソードだ。対立や怒りに心が乱れたとき、胸の内で「私が間違っているかもしれない」と三度くり返す。すると、自分の正しさにしがみつく力がゆるみ、相手と現実が違って見えてくる。著者はこれを単なる処世術ではなく、自我の握りしめを解く修養の技法として提示する。

もう一つの柱が「思考を鵜呑みにしない」という姿勢である。頭に浮かぶ考えは事実でも命令でもない。私たちは自分の思考のすべてを信じなくてよい——この洞察が、不安・後悔・怒りといった苦しみから距離を取る鍵になる。さらに著者は、未来をコントロールしようとする欲を手放し、無常と不確実性を受け入れて「いま、ここ」に立ち返ることを、自らの死へ向かう日々の中から静かに語っていく。

【全体ストーリーの図式】

本書の全体ストーリーの図式:外の成功で満たされない心はどこで自由になるのかという問いから出発し、著者の半生(エリートの座を捨てる・森の十七年・還俗と挫折・ALSと死)を経て、「私が間違っているかもしれない」「思考を鵜呑みにしない」「手放す」という三つの中核の教えへ至り、いま・ここを生きる謙虚さこそリーダーの強さだという構造図

2.本書を貫く流れ(テーマ別)

※本書は約三十の短い省察から成る。ここでは章題の列挙ではなく、語りの大きな流れをテーマごとに整理する。

エリートの座を捨てる――「成功」への問い

若き財務責任者として手にした地位と報酬。その絶頂で著者を襲ったのは、満たされなさだった。外側の達成がそのまま内側の充実にはならない——この気づきが、彼を森へと向かわせる出発点となる。

森の十七年――手放す訓練としての修行

タイの森林僧院での生活は、所有・予定・選択肢を極限まで削ぎ落とすものだった。著者にとって出家とは、思い通りにならない現実の中で「握っていた手をひらく」訓練の連続であり、後年の思想の土台が、この沈黙と単純さの中で養われた。

「私が間違っているかもしれない」――正しさを手放す

本書の核。自分の正しさを証明したいという衝動こそが、対立と孤立を生む。先輩僧から授かったこの一句は、謙虚さを呼び戻し、相手に耳をひらく余地を生む。「正しさ」より「つながり」を選ぶための実践として描かれる。

思考は事実ではない――心の使い方

頭の中の声は、しばしば不安を増幅し、起きてもいない未来を恐れさせる。著者は、思考を消そうとするのではなく、**「それを信じるかどうかは自分が選べる」**という距離の取り方を説く。

還俗と挫折――光の人の影

森を出た後、著者は社会への再適応や鬱に苦しむ。聖人として描かれることを拒み、弱さや失敗を含めて自分を語る誠実さが、本書に深い説得力を与えている。

ALSと死――不確実性の只中で安らぐ

最終的に著者は、自らの身体が少しずつ失われていく病と向き合う。それでもなお彼は、恐れではなく感謝と平安を語る。死をも「手放し」の究極の対象として受けとめる姿が、読む者の死生観を静かに揺さぶる。

3.内容(主要論点)

「私が間違っているかもしれない」という謙虚の技法

人間関係の対立の多くは、双方が「自分が正しい」と確信するところから生じる。この一句を内心でくり返すことは、自分の見方が部分的・暫定的であることを思い出す行為であり、リーダーが陥りやすい独断と過信を解毒する

思考を鵜呑みにしない

浮かんでくる考えは、必ずしも真実ではない。とりわけ不安や怒りの思考は現実を歪める。著者は「考えを止めよ」とは言わない。**「その考えを信じる必要はない」**と気づくことで、心は自由を取り戻す——これは現代のマインドフルネスの核心とも響き合う。

手放す(レット・ゴー)

所有・成果・評価・そして未来への支配欲。これらを握りしめるほど、人は不自由になる。手放しとは投げやりや諦めではなく、自分に変えられないものを受け入れ、変えられることに集中する成熟した態度である。

無常と不確実性を受け入れる

すべては移ろい、確かなものは何一つない。著者はこの事実を悲観ではなく、いまを生きるための土台として提示する。不確実性に耐える力こそ、変化の時代のリーダーシップの中核である。

いま、ここに在る

過去の後悔と未来の不安の往復が、人の心を消耗させる。修行で培われた「現在への帰還」は、特別な悟りではなく、誰もが日々訓練できる注意の向け直しであると説かれる。

弱さを開く誠実さ

著者は自らを完成された賢者として語らない。挫折・鬱・恐れを正直に明かすことで、教えが「上からの説教」ではなく「同じ道を歩む者の言葉」になる。リーダーが信頼を得る要諦もここにある。

4.学びのポイント

「私が間違っているかもしれない」を口ぐせにする 会議でも家庭でも、自分の正しさを主張したくなった瞬間に、胸の内でこの一句を唱える。独断を一拍止め、相手の理(ことわり)に耳をひらく余地が生まれる。

思考と事実を切り分ける 浮かんだ不安・怒りを「事実」として扱わない。「これは一つの考えにすぎない」と名づけるだけで、感情に飲み込まれずに判断できる。

変えられないものは手放す 天候・他人・過去・市場——自分の支配の外にあるものを握りしめない。エネルギーを「変えられること」に集中させるのが、消耗しない経営者の習慣である。

不確実性に耐える胆力を養う 答えの出ない状況を急いで埋めようとしない。**「分からないまま進む」**力こそ、変化の時代の意思決定を支える。

弱さを隠さず開く 完璧を演じるより、迷いや失敗を率直に語るリーダーのほうが、人の心に火を点ずる。誠実さは最強の求心力である。

死を見すえて、いまを選ぶ 有限であることを忘れたとき、人は些事に振り回される。「いつか終わる」という事実は、何を大切にすべきかを澄んだ眼で選ばせてくれる。

5.まとめ

『私が間違っているかもしれない』は、東洋の禅・仏教の知恵を、北欧の一人の人間がその全生涯と死をもって生き抜き、現代の言葉で語り直した一冊である。エリートの座を捨て、森に入り、再び世に戻り、難病と死に向き合う——その振幅の大きな歩みの果てに残ったのは、ごく簡素な一句だった。

「私が間違っているかもしれない」。

それは敗北の言葉ではない。自分の正しさへの執着、未来への支配欲、頭の中の不安——人を縛るそれらの手をひらき、いま、ここを、つながりの中で生きるための鍵である。安岡正篤先生が説く「心中の賊を破る」修養とも、陽明学の「致良知」とも、深いところで通じ合う。正しさを競う時代に、あえて「間違っているかもしれない」と言える謙虚さ——そこにこそ、リーダーの真の強さと、心の平安への道がある。

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