渋沢栄一に学ぶ経営 ― 『論語と算盤』はなぜ今こそ効くのか
二〇二四年から、一万円札の顔は渋沢栄一になりました。大河ドラマの主人公にもなり、その名を目にする機会は一気に増えています。けれども、肖像や数々の逸話の向こうにある彼の本質は、たった一つの信念に尽きます。道徳と利益は対立しない、むしろ一致させてこそ事業は栄える――。この思想を一冊に込めたのが、名著『論語と算盤』です。なぜこの百年前の主張が、今の経営にこそ効くのか。順を追って考えてみましょう。
渋沢栄一とは何者か
渋沢栄一は、武蔵国(現在の埼玉県深谷市)の農家に生まれ、幕末から明治にかけて日本の近代経済の土台を築いた人物です。一橋家に仕えたのち、徳川昭武に随行して渡欧し、欧州の進んだ経済の仕組みを目の当たりにします。帰国後は大蔵省を経て実業界に入り、第一国立銀行をはじめ、東京証券取引所、帝国ホテル、東京海上、王子製紙など、生涯でおよそ五〇〇もの企業の設立と育成に関わりました。「日本資本主義の父」と呼ばれるゆえんです。
しかし、渋沢の真に驚くべき点は別にあります。これほど多くの企業を生みながら、彼は自らの財閥をつくらなかったのです。富を一族で独占するのではなく、広く資本を集めて公益のために事業を興す――この「合本主義」こそ、渋沢の根本思想でした。教育や福祉など約六〇〇の社会事業にも力を注いだのは、その思想の自然な延長だったのです。
『論語と算盤』の核心 ― 道徳経済合一説
算盤、すなわち利益や経済。そして論語、すなわち道徳。一見すると、これほど遠い二つはありません。「きれいごとでは商売はできない」「儲けと道徳は別の話だ」――そう考える人は、今も昔も少なくありません。
渋沢はこの常識に真っ向から異を唱えました。道徳と利益は両立するどころか、一致させてこそ事業は長く栄えると説いたのです。これが「道徳経済合一説」です。道徳を欠いた利益は、信用を失っていずれ崩れる。利益を生まない道徳は、絵に描いた餅で終わる。両者は車の両輪であり、片方を欠けば、もう片方も必ず傾く。渋沢は生涯、論語を自らの行動の物差しとし、それを難しい学問としてではなく、日々の商いを律する実践の書として読み抜きました。
なぜ今こそ効くのか
渋沢の言葉が、なぜ百年を経て今なお ― いや、今だからこそ ― 響くのか。
短期の数字に追われ、コンプライアンス違反や不祥事が後を絶たない時代を、私たちは生きています。道徳という歯止めを失った算盤が、最後にどこへ行き着くのか。その光景を、私たちは何度も目にしてきました。皮肉なことに、利益を強く追う組織ほど、道徳というブレーキを必要とします。アクセルだけの車が危ういのと同じです。
つまり『論語と算盤』は、余裕のある時代の上品な格言ではありません。むしろ利益至上に傾きがちな現代への、鋭い警告として読むべきものなのです。
経営と人事への応用 ― 業績と価値観は両輪である
この思想を、自社の現場に引きつけてみましょう。
企業における算盤とは、業績であり、数字であり、KPIです。論語とは、経営理念であり、大切にする価値観であり、仕事への誠実さです。多くの組織は、算盤だけで人を測ろうとします。けれど、業績の数字だけを評価する制度は、手段を選ばず数字をつくる人を生み、長い目で見れば組織の信用をむしばみます。
本当に強い組織は、業績(算盤)と価値観(論語)を両輪で評価します。これは、前回の記事「徳治と法治 ― リーダーが本当に人を動かすのはどちらか」で論じた、法治(仕組み)と徳治(理念)の関係と、まったく同じ構造です。算盤や法は組織に公平さと土台を与え、論語や徳は進むべき方向と意味を与える。どちらかではなく、両方なのです。
評価制度に「業績」だけでなく「理念に沿った価値観の発揮」を据えること。それは、渋沢の道徳経済合一説を、現代の人事の仕組みへと翻訳する作業にほかなりません。評価が単なる採点表ではなく、「この会社は何を大切にするのか」を一人ひとりに手渡す対話の場になったとき、制度は人を育てる装置へと変わります。
まとめ ― あなたの会社の算盤は、論語に支えられているか
渋沢栄一が遺したのは、古い精神論ではありません。利益と道徳をどう両立させるかという、いつの時代にも新しい経営の問いです。
事業で利益を上げることは、決して恥ずべきことではありません。むしろ正しく利益を上げ、それを社会へ還していくことこそ、渋沢の理想でした。問われているのは、その算盤が論語に支えられているかどうかです。あなたの会社の数字の裏側には、誇れる理念がありますか。一度、自社の評価制度や事業の進め方を、この視点で見つめ直してみてください。
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