恥有りて且つ格る(有恥且格)の読み方と意味 ― 論語に学ぶ、人を育てる組織
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「恥有りて且つ格る」の読み方と意味
まず言葉の確認から入りたい。
「恥有りて且つ格る」の読み方は、**「はじありて、かつ、おもむく(いたる)」**である。出典は孔子の『論語』為政篇。原文は「有恥且格(ゆうちしょうかく)」と読む。「格る(いたる・おもむく)」は「正しいところへ向かう・至る」という意味で、「恥を知り、自ら正しくなっていく」という状態を表している。
この言葉は、論語の中でも特に人を動かす原理を鋭く突いた一節であり、徳治と法治の対比を語る文脈の中で登場する。全文は後ほど詳しく引用する。
先日、戸塚宏先生が教育について語る短い動画を観た。「恥が人間を進歩させる」「恥をかく能力を高めよ」――生ぬるい教育では人は伸びない、という主旨である。物言いは激しく、賛否も分かれるだろう。だが、その核にある「恥」というテーマは、実のところ東洋思想がもっとも大切にしてきた概念の一つであり、人を育て、組織を律するうえで、今なお考える価値の深い問いだと感じた。
恥は、東洋思想の中核にある
現代では「恥」は、できれば感じたくない否定的な感情と見なされがちだ。しかし古典は、むしろ逆に説く。
孔子は『論語』為政篇でこう述べた。「之を道(みちび)くに政を以てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥なし。之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且(か)つ格(いた)る」。罰で縛れば、人は罰を逃れることばかり考え、恥を感じなくなる(民免れて恥なし)。だが徳と礼で導けば、人は自ら恥を知り、進んで正しくなる(有恥且格)――と。
孟子もまた「羞悪(しゅうお)の心は義の端なり」と説き、恥じる心を正義の芽として位置づけた。『中庸』には「恥を知るは勇に近し」とある。さらに管子は、礼・義・廉・恥を国を支える四つの柱(四維)に数えた。恥とは、外から押しつけられる罰とは違う、人の内側に備わった道徳の羅針盤なのである。戸塚先生が「恥が人を進歩させる」と言うとき、その背後には、こうした東洋の長い伝統が流れている。
「無恥」の組織と、「有恥」の組織
この「有恥且格」と「民免れて恥なし」の対比は、そのまま現代の組織に当てはまる。
規則と罰則だけで人を動かそうとする組織では、社員はやがて「見つからなければよい」「処分されなければよい」と考えるようになる。コンプライアンス研修を重ねても不正がなくならないのは、まさに「民免れて恥なし」の状態に陥っているからだ。
一方、共有された価値観に照らして「これは恥ずかしい仕事だ」と自ら感じられる組織では、上司が見ていなくても人は手を抜かない。監視ではなく、内なる基準が人を律する。私が人事評価の設計で「価値観」を一つの軸に据えるのも、つまるところ、この”有恥の文化”をいかに育てるか、という問いにほかならない。
恥は、外から植えつけられない
ただし、ここに東洋思想の深い知恵がある。恥は、外から辱(はずかし)めることによっては育たない、という一点だ。
先の孔子の言葉が示すとおり、罰や圧力で人を晒(さら)せば、生まれるのは恥ではなく、むしろ「恥を感じなくなる心」である。人前で激しく叱責された人は、反省よりも、防衛や恨みを先に学んでしまう。真の恥は、敬意と信頼のある関係の中で、本人が「自分はこうありたい」という基準を持ったとき、はじめて内から芽生える。
だとすれば、戸塚先生の言う「恥をかく能力を高めよ」も、人を突き放して晒すことではなく、一人ひとりの中に、自らに恥じる感性そのものを育てることだと、私は受け取りたい。
経営者にとっての結論
人を育てるリーダーに最も必要なのは、おそらく、まず自分自身が「恥を知る」人であることだ。
孔子は、立派な人物(士)とは何かを問われ、真っ先に「己を行うに恥有り」――自らの振る舞いに恥を知る者だと答えている。罰や叱責で部下に恥を植えつけるのではなく、敬意ある関係を結び、自らの背中で「恥じるべき基準」を示す。その積み重ねの先にこそ、見ていなくても人が自ら正す、強い組織が育つのだと思う。
恥を知る者は、弱いのではない。誰よりも、伸びてゆく人なのである。